最後

たった2文字がこんなにも重たいなんて、知らなかった

分かったつもりになっていて、でも本当はなにも分かっていなかったのだとまた、思い知ってしまう。
これからもきっと分からないままなのだ、ということも。

「また会える?」と聞くと、
彼女は困ったように笑って、答えは返ってこなくて
涙が溢れてたまらなくなって、それで、
「会えなくてもずっと大好きだよ」
と伝えて、それで、終わり。
そんな夢を見た、9月のことだった。
あれから2ヶ月が経とうとしている、
季節はもう変わってしまった。


12月10日が終わっても、
わたしの人生というやつは勝手に、何事もなく、進んでいってしまう。
こんなにもだいすきだという感情は真冬の空に溶け出したまま、
時間にも季節にも大気にも世界にも、
人生にも、
なんの影響も与えないのだ、
かなしいくらいに。

それでも、だからこそ
"加賀楓"という存在が、
こんな平凡なわたしに見せてくれた光を、
あの煌めきを、
ずっとこの中に留めておきたいと思う

感情の行く末

金木犀の香りが、息をする度に飽和する。
愛をしているのだと、今日も思った。

好きだという感情を抱くことはとてもとても、あまりにも簡単で
宗教めいてしまう程に純粋で、切なもので、
加賀楓」という文字列だけで、愛ができてしまう。

愛おしさをかき集めては空を見て、
季節はそこにあって、
今年の秋が作られていく。
夜の香りと自分の香水、金木犀、電車の中で読んだ小説、そうやって美しいものばかり、記憶になる。

だいすきな子が今日を思い出にしてくれる、そんな毎日だ

忘れられない夏の痛みさ

大好きな人を愛したままで、
簡単に生きていけると思っていた。

赤い花を見る度に心の奥がきゅう、と痛むこの感じはいつまで続くのだろう。

 

永遠は無いと教えてくれたのは彼女だった、
それでもわたしは2022年の夏を、
この痛みも愛しさも大好きも瓶に閉じ込めて
永遠にしてしまいたいと思う。

帰り道に、金木犀の香りがしました。
秋が来て、1ヶ月という時間は直ぐに過ぎ去っていって、
吐く息が白くなる頃
わたしはこの夏を覚えているでしょうか

美しい未来だけを見つめることはきっと難しいから、
せめて今日の赤い花の色だけでも、
どうか鮮やかなままでいて。

 

きっとこの景色をおぼえている

最初で最後のFCイベントになっちゃったな、と
始まる寸前にふと思った。
もっと早く出会いたかった、とか
もっとたくさん会いに行けばよかった、とか
後悔ができるのはきっとそれだけ好きだからで、
だからそれは悪いことではないと知っていて、
それでもやっぱり、本当はもっと、もっと、そればかりだ。

彼女の口から"卒業"の言葉を聞けば、
わたしの気持ちにもひとつ区切りがつくとばかり思っていた。
だけど彼女の声を聞いて、笑って話す姿を見て、
ただただわたしは好きの気持ちを募らせることしかできないまま、
あの発表の日よりも分からなくなってしまった。
本当に彼女がこの場所を去ってしまうのか、
本当にあと3ヶ月で彼女が「モーニング娘。加賀楓」ではなくなる日が来るのか、
そんなことばかりぐるぐると考えては答えが出ないまま次の日が来て、そうやって、いつの間にか3ヶ月は過ぎていくのだと思う。

涙で滲む視界にうつるのはかえでちゃんひとりで、
やっぱりあの軽やかで柔らかいのにぱきっとした踊り方がすきだ、
真っ直ぐで強いのにどこか甘い歌声がすきだ、
笑い声が、すらりと伸びる長い手足が、
挙げたらきりがないくらいぜんぶがすきだ。

本当に本当に綺麗だった、見る度に泣いてしまうくらい。

終演後に見たオレンジと灰色に霞む夕暮れも、
昼間の熱が嘘のような涼しい潮風も、
「かえでちゃんのことがだいすき」と話した横浜の道も、
観覧車が緑色に光る理由も、
きっと何年経っても忘れない記憶としてあの場所に存在し続ける。

泣いてしまう

笑って、残された時間を楽しまなきゃいけない。 分かっていても、それが、それだけが、残酷なまでに難しい。

笑っているところを見ると泣いてしまうよ、
いつだってそこに在るはずのない永遠を感じてしまうから。

これは「好き」を利用した依存だ、と分かっていても止められない。

だって、
サーティーワンに行けばチョコミント味を見て涙が出て、
月の光を見れば歌声が耳の奥から聴こえてくるみたいで、
花の色が赤いだけで胸がくるしくて、
傘に雨が当たる音を聴くためにイヤホンを外して、
そうやってかなしみでも寂しさでもない、
ただ少しだけつめたい空気を吸って息をするしかないのに。

二階堂のCMを見るだけで写真集のロケーションを思い出して泣いてしまうんだ、馬鹿みたいだけど。

 

かえでちゃんという存在が私の生活に降り積もっている、それはかなしいくらいに軽くてうすく、だけど自分でも見えない程遠くまで続いている。二度と溶けないでいて、と強く願うことしか、今はできない

事の顛末

「最後の一撃はそっと 私の頬を優しく撫でて」

           少女のつづき/ポルカドットスティングレイ


推しが、卒業する。

時間って止まるんだな、と思った。

いつも通り推しがかわいい〜ってばかみたいなツイートをして、少し目を離して、Twitterを更新した瞬間に目に入ってきただいすきなひとの名前と、卒業の文字。

周りの音が消えた、声も涙も、何も出てこなくて、携帯を握りしめたまま、その文字を見つめたまま、1時間は経ったと思った。時計を見たら、10分しか経っていなかった。


何も考えられなくて、何も考えたくなくて、
数時間経ってからやっと涙が出てきて、
声をあげて泣いた。
久しぶりだった、こんな風に泣くのは。

だいすきな子が、卒業を発表した夜のことだった。

 

 

2年前、しょうもない恋愛で最低の場所まで沈んでいた愚かな私は、彼女に出会ってしまった。


聴きたい曲も無くて、かなしい曲で傷を抉ることにも飽きて、底抜けに明るい曲を聞くのも嫌で、惰性で開いたYouTube

おすすめに出てきたのは、所謂"全盛期"のモーニング娘。の映像だった。

そういえば小さい頃は好きだったな、と思いながら虚ろな目で再生したのを今でも覚えている。

あの冬の日、あの瞬間が無ければ、私は今ここでこの文章を書いていないし、あんなにしあわせな日々を過ごせなかったし、こんな風に泣いたりしていない。

 

愛、夢、希望、未来、それに付随する輝かしい感情、そういうものを歌う曲が大嫌いだった。

たったひと握りにしか叶えられない夢なんて、ここまで狂ってしまった世界に希望だなんて、馬鹿みたいだと思って生きてきた、なのに。


"努力 未来 A Beautiful Star!"

胸が高鳴った。


"晴れの日があるから そのうち雨も降る"

涙が溢れた。


"宇宙のどこにも見当たらないような
約束の口づけを原宿でしよう"

衝撃だった。
今まで出会ってきた歌詞の中でいちばん美しくて、いちばん好きだと思った。


こうやって"あの頃"のモーニング娘。を好きになって、
どんどんのめり込んで、
いつの間にか"今"のモーニング娘。に辿り着いたのが、
2019年の年末。


そこにいたのがあなただったんだよ、
加賀楓ちゃん。


その頃はまだ名前も知らなかった。
ショートカットで凛とした綺麗な女の子が
ひどく苦しそうに、
「こんなもののために生まれたんじゃない」
「どこにも居場所なんてない」
と歌う姿に、異様なまでに惹かれたのを、あの時の感情を、鮮明に覚えている。
どうしてこんなに苦しげな声で歌えるんだろう、
成功して脚光を浴びてきらきらしているはずのアイドルが、
こんなに苦しみの感情をのせて歌えるものなのか。
もっと聴きたい、この子のことをもっと知りたい。


かえでちゃんの歌う「月光」を聴いた日、
あの日から、私の人生は変わった。
誇張なしに、本当に変わったんだよ。


深くて暗いところにいた私が
毎日しあわせだと自信を持って言えるのは、
晴れた日の朝に大きく息を吸えるのは、
好きという感情で涙を流せるのは、
あんなに綺麗な景色をたくさん見られたのは、
背筋を伸ばして前を向けるのは、
ぜんぶぜんぶ、あなたのおかげで。

だからあと3ヶ月、3ヶ月が過ぎても、その後も、
きっと毎日のように泣いてしまうけど、
私は私で、かえでちゃんのことをずっとだいすきなまま、生きていく。